70名
(上記掲載者およびレクイエム・プロジェクト合唱団員など、2025年7月20日現在)
男澤 亨(代表)
私はこれまで、地域の合唱活動やNPO活動などに携わる中で、音楽が人の心を癒し、結びつける力を実感してきました。
2011年3月11日、仙台市内で東日本大震災を経験しました。あの日から、ITの専門家として、専門知識を生かした支援活動を行ってきました。被災地の情報環境整備や被災団体、支援団体の活動サポートを通じて、「人のつながりを築く、守る」ことの大切さを気づかされた日々でした。
震災から、まもなく15年。私自身も、当時のことが少しずつ遠く感じられる瞬間があります。けれど、あの日の私たちはみな被災者でした。また、たくさんの被災者たちと心を通じあわせてきました。
そのことを思い出し、まだ知らなかった出来事や思いにも触れてほしい。そして、若い世代や震災後に宮城に来られた方々にも、この経験を知っていただき、長く語り継いでほしいと願っています。
レクイエム・プロジェクトみやぎは、音楽だけでなく、語りや詩、作詞や対話など、さまざまな形で震災の記憶と向き合い、分かち合う場所です。ここが、被災した方もそうでない方も、互いの思いを聴き合い、未来への一歩をともに歩み出せる場になりますように。
どうぞ、この活動に耳を傾け、共に記憶をつなぐ仲間になってください。
佐賀 慶子(副代表)
指揮、指導をさせて頂いている佐賀慶子です。私とレクイエム・プロジェクトとの出会いは、仙台の活動を新聞で知ったのがきっかけでした。仙台市内に住んでいた私も自宅が全壊となり避難所での生活を経験、家族が揃ったのも翌日で心細かったのを鮮明に覚えています。
昨日までと全く違う日々。音楽教室や合唱指導をしていたそれまでの日々が跡形も無く消えた衝撃。まずは生活再建に追われ、音楽する気持ちは心の隅へと追いやられてしまっていました。
「音楽しても良いのだろうか」 そんな迷いの中でこの活動を新聞記事を読んだのでした。神戸淡路大震災や原爆投下地の広島の体験者が自ら歌い、言葉には出来ない"いのちへの想い"を合唱に託して共有する。遠方の方々と心を重ね声を合わせることにとても惹かれたのでした。
それから12年、数年前より指揮をさせて頂いておりますが、年月が経つにつれて、震災の記憶は段々と薄くなっていっていることを感じています。いまだに家族の元に帰っていない遺体はたくさんあるのに。大切な人を亡くした悲しみ、辛さは決して消えることはないのに。
「レクイエム・プロジェクトみやぎ」では、"あの日を忘れない、あなたを忘れない"という気持ちで、お亡くなりになった方々の御霊と共に語り継ぎ、歌い継いでいきます。震災を知らない若い方々と共に歌うこの活動が、震災伝承の一翼となれば大変光栄に思います。"なつかしい未来へ"決して忘れてはいけないあの日、あの人を伝えていきます。
寺島 英弥(副代表)
私は仙台の河北新報で40年の記者生活を送り、最後の8年は東日本大震災、福島第一原発事故の取材に追われました。郷里が福島の相馬で、古い漁港や集落は津波で流され、海も田んぼも山里も放射性物質で汚染され、野馬追でつながる近隣の町村の多くの住民たちが避難生活を強いられてきました。若いころ、郷里が嫌いだった私は、初めて「同胞」「ふるさと」への思いに目覚めました。今も、震災も原発事故は終わっておらず、被災地の人々の声を伝える取材も「終われない」でいます。
レクイエム・プロジェクト仙台には、合唱でご縁あった指揮者の工藤欣三郎先生に誘われました。主宰の作曲家・上田益さんから地元発の新曲を作りたいと詩の委嘱をいただき、被災地で出会った人たちの言葉と情景から『また逢える~いのちの日々かさねて』、2作目の『なつかしい未来へ』の詩が生まれました。すべて、岩手、宮城、福島まで、被災地の浜や山里、避難先で預かった伝言です。それらの曲を練習で、演奏会で仲間と歌うたび、伝言が人から人へつながるのを感じます。
レクイエム・プロジェクトみやぎは、震災の記憶をそんな歌の力で伝承、継承しようという他にない活動です。あの日を知る誰もが当事者であり、一人で語り部になれなくても、一緒に歌うことはできます。演奏会だけでなく、歌とピアノで多くの人とつながれる交流の場を街に広げ、いままで語れなかったことを語り合い、私たちの新しい仲間にもなってもらおう。そんな場を学校にも、若い世代にも広げて。あなたも、これからつくってゆく歌と語り合いの場に参加してみませんか。